会社は急速に規模を拡張し、第一次世界大戦の勃発前には従業員数200人を数えるまでになった。1912年1月から1914年10月までルーマニアの技術者であるアンリ・コアンダ(コアンダ効果の発見者)が主任設計者を務めた。コアンダの後を継いだのはフランク・バーンウェルであり、彼はのちに世界のトップクラスの航空技術者の一人に数えられるまでになった。バーンウェルの初期の設計のひとつである「ブリストル スカウト」はイギリス軍に採用された最初の戦闘機のひとつである。戦争後期に量産された「ブリストル ファイター」複座戦闘機は王立航空隊(RCF)、のちのイギリス空軍(RAF)の主力機となった。
大戦間期
大戦の終りまでに、会社の従業員は3,000人を超し、工場はフィルトンとブリスリントンにあった。生産された飛行機はみな「ブリストル」の名前で呼ばれていたため、1920年、「ブリティッシュ・アンド・コロニアル」社は清算されて会社の名前も「ブリストル飛行機」社となった。この時、ブリストル飛行機社は経営不振だった「コスモス・エンジニアリング」社を買収し、「ブリストル・エンジン」社と改名して航空エンジン開発の中核にすえた。
両大戦間におけるブリストル社の主力製品は、1918年から1935年にかけてイギリス空軍の主力戦闘機だった「ブリストル ブルドッグ」戦闘機である。この時期、ブリストルは「全鋼製」の機体構造で名高く、航空機製作に普通使われる軽合金より鋼を好んだ。ブリストルの機体は部分ごとに細分された高張力鋼で構成され、ブリストル自社製のエンジンで飛行した。
1935年6月15日に、ブリストル飛行機は上場会社になった。この時点で従業員数は4,200名を数え、大部分はエンジン工場で働いていて、その年の5月に政府から命じられた大規模な軍備拡張計画によく応えた。この時期のイギリス空軍の拡張に対するブリストルの最も重要な貢献はブレニム軽爆撃機である。1938年8月に、フランク・バーンウェルは小型飛行機の事故で亡くなり、レスリー・フリーズが主任技師となった。1939年に第二次世界大戦が始まった時には、フィルトンのブリストル工場は25ヘクタールの面積を持ち、単一の航空機製造施設としては世界最大のものとなっていた。
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